四條地車解説


屋形について

この地車コンセプトは大阪型で、その上で現在流行の折衷型よりも豪華に見えるよう、できる限りの工夫をしました。大阪型であることの大きな定義としては3 点で、まず通し柱であること前梃子の懐があること、摺り出しが無い事この3点は近年までの大阪型すべてに当てはまります。しかし堺型や住吉型の影響をまっ たく受けていない明治初期までの大阪型には更に細部にわたって独特の工法がありました。
例えば台輪がなく板虹梁で蟻止めをし、ねじれを抑えている事や平台木である事、柱と舞台が升目で縁隅木を出している事など、定義ではないが江戸期~明治初 期の大阪型に当てはまる細工は数多く見受けられます。そうした古式の大阪型をできる限り忠実に再現し、尚且つ現代の豪華な彫刻を配置する事であらためて大 阪型の素晴らしさを大阪市内の新調地車という事でアピールしたいと思いました。

彫刻について

新調地車の彫刻は太閤記一式で制作しました。楠公記や源平盛衰記など他にも素晴らしい題材はありますが、大阪型と言う事で、今日の発展を得るきっかけを作った太閤さんが最もふさわしいと思い、太閤記一式を題材に、彫刻の製作をお願いいたしました。
正面の屋根廻りに花鳥物が施されていますが、これはすべて縁起物に絡めてあると共にオーソドックスな大阪型のイメージを守るべく、朱雀と青龍 小屋根桁隠 しの虎を白虎に、水板の亀を玄武に見立て『四獣神』、正面桁隠しの松、小屋根桁隠しの竹、大屋根後懸魚の梅で『松竹梅』、正面上部の鶴、後下部の亀で『鶴 亀』という具合にこの地車の彫刻題材はすべてに繋がりをとってあります。

地車の彫刻とは部品の寄せ集めではなく、大きな目的を一台の地車に分散し配置するもので、いわゆる名作・傑作とはそういう地車であると考え、この様な図柄 の選択・配置に致しました。一般に地車を見るときは屋根廻りに目が行きますが、本来地車の製作は、台木から、つまり下の方から組み上げていくもので、大ま かな図柄の配置は下から始まって上で終わるように構成しています。

台木は平台木をできるだけ豪華にするために、平の波が木口まで迫る様にし、後の獅子は妻台と共に、本来あるはずの木鼻と板虹梁のシルエットを意識し、連想できるように妻台も虹梁のように勾配をつけ唐草の代わりに波で表現しました。

土呂幕正面(花戸口)は猿が瓢箪を掴もうとする図で、火燈窓式にしています。正面の柱内は花鳥物で統一する事を目的とし、尚且つ他の土呂幕等の彫刻とも繋 がる様にするため、尾張国で貧農の子として生を受けた秀吉(幼名日吉丸)が、その後千成瓢箪の旗印で天下統一を果たす生涯の第一歩を表したもので、これを 彫刻の始まりとしました。

他の土呂幕の図柄は秀吉がつかえて最大の影響を受けた信長に関するもので、「本能寺の変」「光秀の最後」「大徳寺焼香の場」は信長が光秀の謀反により本能 寺で殺害され、報せを受けた秀吉は備中高松城を包囲していたが、毛利氏と和平をとりまとめ、世に言う中国大返しで京にもどり、山崎の戦いで主君の仇を討っ た。光秀は居城(坂本城)に落ち延びる最中、京都山科小栗栖峠にて落武者狩りの土民によって殺害される。信長の葬儀の席で焼香の順番をきめるおり、信長の 長男信忠も戦死の為、次男信雄三男信孝を柴田勝家らが並んで焼香させようとした時、秀吉が嫡孫三法師を抱き堂々と一番焼香をさせ、葬儀を取り仕切る場面と なっております。

縁葛、高欄合には秀吉の生涯をダイジェストにちりばめました。

小屋根車板「大岩山の砦」後三枚板「秀吉本陣佐久間の乱入」
左右三枚板、隅、脇障子「賎ケ岳の合戦」「七本槍の名場面」「一番槍の福島正則、加藤清正、片桐旦元、脇坂安治、糟谷武則、平野長泰、加藤嘉明、石河一光等の勇戦」、左右の大屋根枡合「姉川の戦い」「三方ヶ原の戦い」

柱巻きは秀吉没後の大坂冬・夏の陣「木村重成、真田幸村の勇姿」となっており秀吉の生前、没後の最も勇ましい彫刻栄えする題材を配置しました。

これで大まかな花鳥物・武者物の彫刻の解説は致しましたが、この四條の地車だからこそ必要で、個性的な彫刻が三点あり、他の彫刻と分けて解説させて頂きます。

まず後の高欄に巻き付いている龍ですが、古くから大阪南東部では車板から高欄にかけて晒しを編んで、その中心くらいに宝(金具を施した筒状の物)をつけま す。四條の地車も先代までそうしていましたが、新調地車は三枚板が前に張り出していることや車板の細工が細かなことなどの理由で、晒しによって宝を取り付 けるスペースが無く、できるだけ同じ位置に宝がくるように、龍を高欄に巻きつけ、宝を守っている様な構図にしました。その為、通常宝には龍等の金具がつい ていますが、宝の金物は雲に玉としその玉を龍が守っている姿にしました。

次に土呂幕四隅に付いている力士のようなものですが、古いいくつかの大阪型の地車に正面台木の上に同じような物があります。これは縁の下の力持ちの意味で、見えない所で表舞台を支えている貴重な人がいると言うことを表しています。
新調地車の四隅のものは天邪鬼で四條の長老をはじめ、多くの支援者を表現しています。表舞台の青年団を陰で支え、尚且つ青年団が進むべき道を迷わぬように 足元を照らすため、提灯を手にしています。このような伝統が続くようにと言う意味を込めて細工して頂きました。
最後に、西日本が政治・経済・文化の中心であった時代から、すべてが東京を中心とする現代にいたるまで数々の変遷がありました。その移行するきっかけは豊 臣方が徳川方に敗れた事が最大の要因で、太閤記は大阪の発展の始まりですが、その最後は東京一極集中の始まりであると言えます。
今日政治は、中央の顔色を伺い経済において東京の後塵を拝し、常に辛酸を嘗める思いをしてきた大阪人にとって、この太閤記はまさに『悪夢』の始まりになり ました。しかし唯一伝統文化だけはその土地に暮らす人々の気質と共に移ろい換わることはありません。この我々の伝統文化である地車に思いを託し、その『悪 夢』を取り除いてもらう為に、最も高い位置に悪い夢を食べると言われる獣を細工して頂き、今後の地域社会の発展、広くは大阪文化の発展を地車祭りと言う形 で貢献したいと思います。

箱棟  神獣 『獏』

施工 : 株式会社大下工務店 大下孝治    彫刻 : 有限会社木下彫刻工芸 木下賢治

平成十六年九月二六日
四條地車新調委員会委員長
藤原俊治

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